昨日は、市川市芸術文化団体協議会が主催する第21回芸術文化集会に出席しました。数々の発表、展示を前に基調講演されたのは、市川市在住で作家・俳人としてご活躍されている中津攸子さんです。講演では市川の歴史を語って頂き、その素晴らしさを再認識しました。
たとえば、市川は貝塚が集中していることで知られていますが、それは古代、豊かな地域であったことを示しています。日本国内で貝塚は約2500ありますが、そのうち千葉県に約600が集中しており、貝塚の”メッカ”と言ってもいいでしょう。
とりわけ、千葉県若葉区にある加曾利貝塚は世界最大級の貝塚として知られるほか、市川市内には堀之内貝塚、姥山貝塚、曽谷貝塚と著名な貝塚が点在しています。
また、下総の国の国府があった場所であるほか、戦国時代は2回にわたる国府台合戦が繰り広げられるなど、その史跡は里見公園として今は憩いの場になりました。
石橋山の合戦で敗れた源頼朝が再起を図った場所でもあります。鎌倉幕府というのは、王侯・貴族といった支配階級のためだけの政治ではなく、それまで被支配階級だった武士による初めての政治・・世界史において、被支配階級による政治は各国では清教徒革命、フランス革命、ロシア革命などを待たねばならず、貴族ではない、いわば”庶民による政治”を最初に行った礎が市川にあったとみていい・・そう中津先生は説いていました。
さらに、狩野浄天(かのうじょうてん)が開いた、八幡付近から浦安の当代島までの用水を開削し、行徳で稲作を盛んにした、浄天堀は日本最古の農業用水とされています。
このうように、市川市は本来なら歴史的、文化的にもっと誇って良い街であると言えるでしょう。ところが、市川から著名な”歴史作家”が誕生していないため、良さが伝わらないと中津先生は指摘しています。ならば、我々市民1人1人がこの素晴らしさを大切にし、周りに伝えて行くことが必要かもしれません。
市川の文化・芸術を発展させようとする種々の政策に取り組んでいますが、文化・歴史的な価値が高いというイメージを高めれば、その分だけ市川の街全体の価値が上がろうというもの。中津先生のお話を聞き、より一層、力を注がねばと思いました。