※以下の記事がハフィントンポストに掲載されました。
落選してから2週間経過、私が千葉県議会議員であるのも任期満了の29日までとなった。現職としての投稿はこれで最後となる。統一地方選挙の後半戦も終わり、ようやく落ち着いて自らの敗北を語れる状況となったので総括してみたい。
私の前回の県議選における得票数は14467で2位当選、今回のそれは7701で半分近くまで票を減らして惨敗を喫した。選挙に少し詳しい人ならこう思うだろう。最初の選挙は「風に乗って」当選し、2度目は「風が無くなり」落選した典型的なパターンであると。初当選後、自分はそうなるまいと努力してきたものの、結果的に、そのパターンに見事に嵌ったのは獲得票数が示す通りだ。
サボっていた訳ではない。むしろ、政策面では少数会派に所属しているハンデを考えれば、かなりの実績を挙げてきたつもりである。それは、これまで450余りに及んで記してきた拙ブログの「真実を発信」をお読みなさって頂ければ、ご理解頂けると思う。
政策に関しては「政策が選挙活動」と言うほど、真摯に取り組んできた。特に、私の代表的な政策であるハラールの推進に関しては、千葉県を全国で先進県に押し上げただけではなく、政府委員として国の政策にも関わったほどである。
前回の選挙で掲げた「改革」についても実行した。大きな柱である議員定数削減こそ、少数会派のため意見が封殺され、実現できなかったものの、部分的ながら議員報酬と職員給与の削減に関しては、その実現に貢献できたと思う。個人としても、決算審査の場で無駄をあぶり出して改善に繋げた事例もある。
一方、「当選するため」の普段の選挙活動に関してはどうだったか。前回の当選後、従来の一般的な政治家のスタイルである後援会をガッチリ固めることをせず、市民に直接触れて支援者を広げようとするスタイルを貫くこととし、その通り実行した。後援会が脆弱だったことが落ちた理由とは思えない。後援会が強固で鉄板と言われる候補が落選した例を、前回、今回といくつか見ているからだ。
対極にある、早朝から駅に立ちひたすら名前を売るだけのスタイルも、それだけに縛られずに、定例議会が終了するごとに定期的に行っただけで、毎日立つようなことはしない。それも同じ理由からである。
地元の祭り、盆踊り等の行事は、首長や国会議員に次いで顔を出した。いわゆる「どぶ板」は踏んだし、熱心に応援してくれた人も少なくない。一昨年暮から昨年11月に解党するまえ所属したみんなの党のゴタゴタ、なかんずく「熊手騒動」が生じるまで、地元では「あの人は強い」とまで地元で評されたことがあるほどだった。
もちろん、努力が足りない部分があった点は否めない。「どぶ板」に甘さもあった。仲間の中には、仕事は”2期目を当選すること”と完全に割り切り、平日は毎朝夕の駅頭、年間で議会が開かれていない正味8か月は毎日、いわゆる戸別の県政報告を徹底・・私は政策に割く時間が多い分、そこまで徹することが出来なかった。
その分を政策でカバーしようと思ったものの、今回の結果からは、地方選挙において、政党色こそ重視されるものの、個々の政策はほとんど評価されないのでは・・そう思わざるを得ないほど、痛烈に叩きのめされた。アピールが足りない、そもそも県政への関心が低い・・いろいろなご指摘もあるだろう。言えるのは、”定石”からはみ出していた私は、”選挙”というものに対して甘さがあったと言わざるを得ない。
それでも4年間、決して風頼みとはせず、支援者を殖やす活動をしてきたため、計算できる固定票もあった。にも拘わらずこの結果━━そう、肝心の浮動票を取り込めない、それどころか浮動票が逃げた感じさえある。
最下位当選との票差を踏まえれば、4年間、どぶ板を徹底したとしても、届かなかったのではないか、風が無ければ自分のような徒手空拳の候補者は県議選は敷居が高いのではないか、と自信を無くすほどだった。
さて、今回の選挙戦に至るまでの過程だが、みんなの党が解党してから、しばらく無所属として活動、政党色が強い議会運営から無所属の限界を悟り、維新の党の公認で立候補することになった。無所属と言えば、一匹狼のようで格好良く見えるものの、現実はそんな甘いものではない。千葉県で例を挙げれば、議案に関する代表質問が行えるのは5人の会派から、条例案が提出できるのは8人から。私が今回拘った無駄を追及できる最高の場である、決算審査特別委員会は3人いないと人を送り込むことができない。数がすべてという現実がある。
そこで選択した維新の党、それだけではなく、次世代の党、みんなの改革からも推薦を頂戴し、何かともめごとが多い第三極が結集した全国でも珍しい候補者だった。
そんな態勢で臨んだ今回の選挙戦、風が無かったどころか、想像以上の逆風私のみならず、いわゆる第三極の候補に吹き荒れていたような気がする。かつての同士、旧みんなの党所属候補の相次ぐ落選、維新、次世代、或いは各地域政党の苦戦、当選しても下位でやっと━━皆がサボっていた訳ではない。むしろ、各党とも政策集団として、仕事ができる、していた議員が大半にも関わらずである。
例外は、維新の地盤である大阪、そして、あまり知られていないが埼玉の上田知事直系の地域政党、無所属候補を挙げることができそうだ。これらの共通するのはただ1点。強力なイニシアチブを誇るリーダーが、目に見えた、形とした実績を挙げている点である。
そのほかの第三極は、個々の議員(地方政治は二元性のため工夫次第では個人の力量が発揮できる場面もある。実際に私がそうだった)で各論で政策実現することは可能であっても、総論の部分では議会で多数を支配、或いは首長の実行力をしない限り実現できないのが現実だ。維新の党の場合、大阪の実績を強調、それを「あなたの地域でも実現」とアピールしても、それはあくまでも大阪においての話と有権者に聞こえてしまう。
つまり、第三極は政策が立派でも、現実性が乏しいことから評価されない。そこに、これまでの混乱からとてもまかせることができないが加わり、一部の地域を除いて苦戦を強いられたのではないか。さらに、第三極の候補は、私を含めて特定の団体、企業、労働組合などから支援を受けていないなど基盤が脆弱な候補が多いので、過去最低となった投票率が追い討ちをかけ、沈んでしまったとの結論を導き出すことができよう。
私の地元の投票率は32%━━つまり、約7割の人が棄権した。投票に行った人の多数は「この候補に入れる」と決まった票が占めることは想像に難くない。
では、棄権の7割はどうか。よくよく考えてみれば、政治を変えたい、良くしたいと思うのであれば、棄権をするとは考えにくい。これは私見ながら、過去の熱気を帯びた「変えたい」という風、ムードは一部の地域を除いてはなくて、政治に失望、諦めに近い形での現状維持肯定━━それが棄権の増加に繋がったように思える。
最大の敗北した要因は、逆風下でも議席を守った現職がいるので、私自身の努力不足だ。自信を持って進めた政策も、実は私の勘違いで千葉県の発展に不要と有権者が判断したのかもしれない。
そして、もう一つ、私のみならず、仲間が大苦戦した要因として挙げたいのは、実績を挙げた一部の地域を除いて、有権者が抱いていた期待を裏切ったことにあるとみている。維新の党、旧みんなの党も含め第三極の政策は間違っているとは思っていない。民主党政権のように実行して期待を裏切るのも論外だが、いつまでも「絵に描いた餅」の状態も期待を裏切るのと同じ・・さらに「第三極って期待していたけど、もめごとが多いのにガッカリした」という有権者の声を加えたい。
いずれにせよ、一度でも「風」で当選すると次の選挙は、いかに個人で努力を重ねたとしてもきつくなる──国政選挙をはじめ、これまで何度も繰り返されてきたことを身を以て体験した。
最後に、後半戦の市議選で私が支援した2人の新人候補が当選したことを報告して、この文章の結びとする。