※ハフィントンポストの以下のコラムが掲載されました。
消費増税の再延期が浮上、これに伴い解散するのかしないのか、騒がしくなってきた。
再延期が論じられる中で、言われるのはアベノミクスの“失敗”。元を質せば、消費増税は民主党政権下で決まったことであり、アベノミクスの一環として語るのは乱暴この上ないのだが、アベノミクスが“成功”して景気が浮上、今後も経済成長が見込めると自信が持てれば、増税に耐えることが可能となるだけに、その意味では現段階では“失敗”と言えるのかもしれない。
その“失敗”、2通りの見方があると考えている。この2つは、まったく性質が違うものであり、それらは混同しがち。何の説明もなく、“失敗”のひと言で片づけてしまうと、ミスリードしてしまうので、ハッキリ分けるべきなのだ。
ひとつは、アベノミクスそのものが“失敗”という見方、考え方。リベラル勢力が与党を攻撃する際の“失敗”は、間違いなくこちらとみていいだろう。金融緩和をはじめアベノミクスをやるべきではなかったというものだ。
民主党政権下の経済無策の状況と比較すれば、株価は回復、景気も一時的ながら上向き、さらに、雇用・給与も改善した点を踏まえると、私自身は、アベノミクスの方向性そのものは間違っていないと思っている。
もう1つは、アベノミクスの方向性は正しいながら、その運用が”失敗”だったというもの。
アベノミクスは「金融緩和」「公共事業」「成長戦略」の3本の矢で構成されているが、このうち、「金融緩和」と「公共事業」までは良かったものの、「成長戦略」が十分ではないため”失敗”となったという見方がそれだ。マーケットにおける”失敗”は後者であるのは言うまでもない。私が“失敗”だと思うのもこの点だ。
このところ、公共事業の拡大が言われているが、3本目の矢が不発だったために、デフレ脱却という”的”を射落とせず、それゆえに、2本目の矢から”やり直し”──というのがわかりやすいのではないだろうか。
公共事業の効果は時間制限があり、本来なら、2本目の矢で温まっているうちに、3本目の矢を放ってデフレ脱却を図るというのが、アベノミクスのあるべきシナリオだったのである。
ところが、遅々として3本目の矢である成長路線が思ったように進まず、そうこうしているうちに2本目の効果が薄れてしまった。つまり、これから出てくる景気対策は2本目の”仕切り直し”とみていいだろう。
2つの“失敗”の見方について、明確に区別して論じるべき問題だ。そこを単なる“失敗”で片づけ、方向性まで否定しまうと、さらに、日本は厳しい状態に追い込まれるのではないかと危惧する。
もちろん、アベノミクスを継続するとしても、今度こそ3本目の矢をしっかり放たないと、五輪という”下支え”も期限付きなので、日本は大変なことになるのは言うまでもない。