【記者魂122】5兆円の損失で株運用を止めろと言うけれど・・・

※ハフィントンポストに以下の記事が掲載されました。

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、運用で約5兆円の損失を出したと報じられ、選挙期間中、野党が攻勢を強めている。

第2次安倍内閣になってから年金は約40兆円の収益をあげたことを敢えて強調することはしない。そもそも、ハイリスクハイリターンで、株が上がれば運用成績は良くなり、下がれば今回のように悪化するだけのこと。十年単位で論じるべきことなので、5兆円の損失も40兆円の収益も、いずれも語ったところで大きな意味は持たない。

支給と負担のバランスから、株運用が必要と筆者は考えているが、それは横に置いておいて、年金の有り方として株運用を議論する場合、損した殖えたという運用成績を感情論で語るべきではなく、将来的に支給を安定して行うためにどうするかを議論することが重要と思っている。

野党の演説では「年金資金の株運用を止める」という訴えが目を引く。それはそれで一つの政策だ。ただ、残念なのは漠然と「止める」といった声しか聞かれず、実際に止めた時の影響や、支給と負担のバランスを踏まえ、将来の年金をどう運営するかという具体的な話が聞かれないのが残念でならない。

昨年末時点で、GPIFの運用資産は約140兆円。このうち、株式に振り向けられているのは約4分の1。少なく見積もっても30兆円に達する。

そして、株運用を止めるということは、この30兆円を市場に売りに出すということなのだ。現在の不安定なマーケットは言うまでもなく、相場環境が良い時でも30兆円分の株を売るというのは困難が付きまとう。この売りで、株価は大きく下落、いわば、自分で自分の首を絞めるような行為となりかねない。

止めるというのであれば、どう止めるのか、具体的な手法を同時に示すべきだろう。そのまま止めるのであれば、さらに、年金運用で損が発生してしまう。「自民党政権が買ったから、売って下がるのは仕方がない」──などという理由は通用しない。現実を見た上での処方箋を示さない、単なる「止める」では無責任と言わざるをえないのだ。

さらに、運用難の中で、賦課方式が将来機能しなくなりそうな状況をどうするのか──そもそも、株運用はそれを克服するための施策なのだが、「止めて」どう支給額を維持するのだろう。年金資金が増えない状況を放置し、年金の支給額を減額するとでも言うのであろうか。その点をはっきり示して欲しい。

いずれにしても、「損した」と感情論で語るのではなく、株運用に代わる対案を示すなど、年金の将来を語ることがここでは重要なのである。