昨年のちょうど今ごろ、本ブログで「在野の政治家」をアップしましたが、今年もその在野の政治家で、私の政治の世界における師匠と呼べるべき人の1人である小野晋也元衆議院議員を囲む集まりに参加しました。
小野先生の人となりは、昨年記しましたので、詳細は省きます。よく、「政治家なんて皆、どれも同じで、権力欲の塊だろう?」などと面と向かって言われることが少なくありません。でも、そう言う方々には、是非、小野先生のお人柄に触れて頂きたいと思っています。
今日の話で印象的だったのは、日露戦争時における諜報活動で知られる明石元二郎陸軍大佐(肩書は当時、最終的には大将まで昇格)についてでした。日露戦争後、しばらくして明石大佐は台湾総督となったことは、あまり知られていませんが、その在任中、心底台湾のために尽くしたのは歴史が語るところ。遺言に「台湾に葬るように」とあり、わざわざ台湾に遺体を移送して葬った話など、地方の行政官、議員は心よりその地方を愛し、尽くす存在であるべき・・・そう教えてくれます。明石大佐の晩年の生き様、見習うべきと感じました。
さて、今日の会には、地方リーダー育成塾の門下生から、何人か小野先生を慕って参加しました。昨年末の総選挙で当選した桜井宏代議士、猪熊篤史渋川市議会議員も出席。今回は参加されていませんでしたが、今夏の参議院選挙で、みんなの党の愛知県選挙区公認候補予定者の薬師寺みちよさんも同窓生です。
育成塾では、農商工連携をテーマに学びました。今、考えれば、この3つがバランスよく並立する千葉県のためにあるテーマだったかもしれません。ここで、私は「市川の梨」を中心に論じたのですが、当時勉強したことが県政に臨む上で役に立っています。私の議員としてのバックグランドの1つとも言えるでしょう。
議員や首長には「なりたい人」より「なって欲しい人」に頑張って欲しい・・・そう思うことが多々あります(自分も「なりたい」と思ってなったクチなので、調子がいいと思われるかもしれませんが=苦笑)けど、小野先生は是非、在野から議場に戻って欲しい人の代表。いつか、在野ではなく、表舞台に帰ってきて欲しい政治家と思っています。