東北・三陸地方の被災地視察シリーズ、今回は最終回。柳田國男の「遠野物語」やカッパ伝説などで知られる遠野市についてです。
遠野市では後方支援の重要性を学びました。単に支援の拠点を決めるだけではなく、大切なのは平時に訓練を行いシミュレートすることです。東日本大震災で後方支援の備えをしていた遠野市が果たした役割が大きかったのは言うまでもありません。
遠野という街は、盛岡や花巻、一ノ関といった内陸部や宮古、釜石、大船渡など沿岸部の真ん中に位置し、交通の要所として古くから栄えてきました。
内陸部ですので、当然、津波の被害は受けていません。しかし、地震の被害は大きく、昭和49年竣工の市役所は被災。それでも、沿岸部の復興支援の基地として、津波の発生直後から後方支援を行政がバックアップした経緯があります。本田敏秋市長にお話を伺いましたが、市役所復旧よりも復興支援を優先。今でも、遠野市役所は別の場所で仮住まいを続けています。
震災前に遠野市は、後方支援拠点として既に位置づけられ、訓練を実施した経緯があります。平成20年には、自衛隊の参加人数1万8000人、参加車両2300台、参加航空機43機の大規模な訓練を実施。これらが、一昨年の震災で役に立ったのは言うまでもありません。
東日本大震災の後は、遠野総合防災センターの横にある遠野運動公園が復興支援に訪れた自衛隊や警察などのキャンプ地となりました。千葉県からも支援部隊を送り込んでいます。
支援に関する本田市長のお話で印象に残ったのは、被災地からの支援物資が発生直後と1カ月後では大きくニーズが変わるという点です。当初は、本当に生きるための物資だったのが、落ち着くにつれ一般の生活関連が多くなったとのことでした。このことは、今後、たとえば、被災地に支援物質を送る場合、時期によって必要とされるモノが変わってくる・・・ということを憶えておくべきでしょう。ちなみに、遠野市から沿岸被災地に送ったおにぎりの数は約14万個だったそうです。
なお、具体的な後方支援活動については、遠野市のホームページに記載されていますので、この文章をクリックしてお読みになって下さい。
短い期間の視察でしたが、視てきたことを県の防災対策に役立てたいと思います。