【記者魂55】呟いた事実ではなく、心で思っていることが問題

ツィッターやフェースブックなどで、とんでもない投稿が相次いでいる。冷蔵庫の中にふざけて入った写真をアップしたり、食材の上に寝そべったり・・・飲食店で男6人が全裸になったなどというのもあった。中にも、文字にするのも憚る破廉恥な行為のアップも。そうした、悪ふざけだけではなく、暴言や放言なども後を絶たない。とりわけ、筆者の仕事柄、気になるのが公務員の暴言だ。

報道によると、経済産業省は26日、同省の51歳となる男性官僚が自身のブログに「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい」などと不適切な書き込みをしたとして、停職2カ月の懲戒処分にしたという。復興が不要と思わない筆者などは、真っ先に死ねばいいのか?

公務員は、いわば行政サービスの執行者。サービスを提供する訳であり、何が必要なのか住民のニーズを汲み取るのも仕事の1つと考える。筆者は、千葉県内で津波の被害が大きかった旭市に何度も足を踏み入れたほか、地元の市川は液状化で苦しんだ浦安の隣町であり、多くの被災者の声を聞いた。東北地方の沿岸部を視察し、住んでいる方に話を伺ったこともある。被災地に足を踏み入れ、少しでも話を聞けば、復興を急いで欲しい・・・それが切実な願いであることが理解できよう。

そうした声が多いのに「復興が不要」とは何事・・・と思わざるを得ない。住民の声に耳を傾けずに、行政サービスを提供することなど出来ないだろう。これは、ツィッターで呟いたことが問題ないのではない。1つのポイントとして「公務員なのだから、心に思っても言っちゃだめなこともある。言う(書く)べきではない」という今回の問題の総括もあるが、それはまったく違う。「心に思っている」こと自体が問題なのだ。

何のために公務員をしているのか?・・・住民の声を聞こうともせず、机上であれこれやって執行しようとしている役人に聞きたい。

私が高校生の時、学校では「でもしか教師」と呼ばれる教員が少なくなかった。今は死語となった感もあるが、就職の際「教師でもなるか」「教師しかなれない」・・・こういった理由で就いた教員を指す。優秀であっても、教育に情熱を注いでいないのであれば、教えられる方はたまったものではない。さすがに、以前に比べて教員採用は狭き門となったため、そんな教師は少なくなったと思うものの、公務員の中には国民、住民のことを考えず、“単に頭がいい”“生活が安定する”といった理由でなった人が、少なからずいるのではないか。

それが、こうした事件で発覚する訳だが、ステルスでこんな公務員がウヨウヨ・・・これでは一般国民が不幸になるというもの。公務員改革は、給与削減、定数削減ということだけではなく、”気持ち”の部分にメスを入れる必要があると考える。

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