大義なき解散総選挙などと言われるが、現実的に選挙は行われるので、国民に対して何の“信を問う”のか━━まもなく、無所属議員となることで、より客観的に記すことができるようになったことから、私なりに考えた総選挙の意味について記したい。
争点は、どうやら「アベノミクスの是非」となりそうである。ここ一両日、各候補予定者が配布した新聞の折り込みチラシの中にも、アベノミクス云々の大きな活字が躍っているものもあったので、公示後もその論戦が繰り広げられることだろう。
では、争点がアベノミクスの是非にあるのなら、まず、有権者が判断材料として知る必要があるのは、アベノミクスそのもの、さらには、アベノミクスが実行された後に何が起きたか━━などになるのは論を待たない。しかし、私が忘れてはならないと考えるのは、アベノミクスで起きたことの是非だけではないと思うのである。
私自身は、アベノミクスが示す方向性は正しいと思うが、そこまで踏み込むと、客観的に踏み込むという趣旨から外れてしまうのでその部分は今回の原稿では割愛するが、アベノミクスの是非で非と判断する場合、それは政策転換を意味するので、転換した際の明確なメニューを非とする側が示すべきなのだ。
ところが、感じられるのは「良いか悪いか」というだけで、「悪い」という側が、現時点では何をしたいのか明確に伝わっていなように思えてならない。非とする勢力からは、公示日までに「はっきり国民にわかりやすいように対案を出す」と反論が出そうだが、それなら”選挙のための”のメニューに過ぎないのでないか。
これまでの国会論戦では、漠然と国民生活に何が求められるかといった議論はなされても、本当ならメニューの骨格になる部分だけでも普段から示すべきであろう。そうでなければ、今、公約を掲げても、それは国民の目に付け焼刃としか映らない。
繰り返すが、ここで大事なのは、アベノミクスが非とする場合、その立場から問う人々は「どういった政策」を打ち出すかが求められると思っている。単なる是非だけで判断してしまうと、後に待つのは政策的な混乱・・深読みすれば、政権サイドは「安定か混乱か」も実は問うていて、実は選挙の準備が出来ていないうちに解散したというのは、選挙戦というテクニカル的な部分だけではなく、相手側がこうした政策、対案が準備されないうちに・・そんな意識もあったと穿った見方もできる。
さて、その対案だが、アベノミクス前と後という点で考えるのなら、民主党政権時代の政策、或いはそれを修正したものが対案として浮上することになるだろう。その場合の私なりの解釈をしてみた。
まず、肝心のアベノミクスについて述べると、大胆な金融緩和、公共事業、成長戦略、いわゆる三本の矢で明確にデフレ脱却を目指したことである。ここはわかりやすく、単純に考えて欲しい。デフレではなく、インフレを指向することによって、バブル崩壊以降、停滞した我が国経済を活性化しようとさせるものだ。
一方、アベノミクスを非とした場合、それはインフレを否定する施策になろう。つまり、民主党政権下の3年余りで、脱却することができなかったデフレ経済を容認するような施策とみることも可能となる。それは、私が手にした民主党候補予定者のチラシから解釈したと付け加えておく。
チラシには「ガソリンや小麦粉、トイレットペーパー、食用油、バター、プラスティック製品など、物価も上昇し、国民の生活がより苦しくなってしまいました」と記述した上で、アベノミクスを糾弾していた。物価上昇がいけないというのなら、その反対は物価下落、ひと言で言えばデフレである。
以上の点を踏まえると、極論すればアベノミクスの是非というのは、「インフレ」VS「デフレ」となる。
今の日本にとって、また、将来の日本を考える上で、「インフレ」と「デフレ」どちらが適切なのか━━アベノミクスがインフレを指向している政策である以上、それを争点にするのはそういうことになるのだ。
アベノミクスの方向性が正しいと思っている私なりに意見はあるし、「インフレ」「デフレ」という言葉は刺激的であるがゆえに、いずれの陣営からも暴論という批判が当然出てくるだろう。しかし、単純にどちらかを選択するというのであれば、物価上昇か物価下落のいずれかを選択しなければならざるを得ない、そう思うのが現実的な視点ではなかろうか。
少しだけ、自分の意見を述べさせて貰うと、経済的な立ち位置で見方や表現の仕方を変えると、「成長重視」か「分配重視」になるかもしれない。これは私の持論でもあるが、民主党政権下で株価が低迷したのは「分配重視」、安倍政権になって株価が上昇したのは「成長重視」━━それぞれの根幹をマーケットは判断材料にしてきたとみている。つまり、前回に続いて今回の総選挙は、経済路線の選択選挙でもあるのだ。
そこでの第三極や、非民主でアベノミクスに否定的な勢力は、根幹部分には賛成しつつも、方法論が異なる立ち位置とみることができよう。たとえば、アベノミクスの方向性を是とする第三極は、三本の矢には賛成しながらも、公共事業の配分方法、成長戦略の進め方に異を唱えてきた。現実的には、そうしたメニューを明確にするどころか、根幹部分が異なる勢力との選挙協力、或いは雲散霧消した党もあるなど、実に残念なことと思っている。
長い国政選挙の歴史において、実は、今回ほど経済の路線に関して問う選挙はないのでは━━現時点で私が抱く印象だ。