【記者魂67】「紙一枚 地方議員の 軽さかな」

※以下のコラムをハフィントンポストに掲載しました。

表題の下手な句は、最近あった出来事から思い浮かんだものである。それは私や仲間が仕事に対して一生懸命に取り組んでいる姿勢を軽く扱われたのではないかと悲しい思いをする出来事だった。

本当なら、党を出て行った方達に関して、今後は書くまいと思っていたものの、あたかも”コマ”のように扱われたことに対して我慢が出来なくなり、もう一度だけ思いを記すことをお許し頂きたい。

「紙一枚」とは、みんなの党に残留した地方議員の多くに送付されてきた「結いの党」の地方議員向けの入党案内書のことである。私の場合は、直接お断りをした経緯があるのにも関わらず、その後、事務所に送付されてきた。仲間に聞くと、送られて来ない議員もいるとかで、何らかの名簿を利用して送られた可能性がある。

この際だから、「この指止まれで結集するのではなかったのか?」という仁義云々を語ることはしないし、紙一枚で済まそうとする中央集権を標榜する官僚的な発想も問うことはしない。しかし、地方議員というのは紙一枚を配る扱いでは決してないはずである。我々は”コマ”のような存在なのだろうか?かつての仲間だっただけに、そんな扱いをされたことが残念でならないのだ。

直接お誘いを受けたことがある私はまだいい。だが、紙一枚で済まされた仲間が少なからずいる。党が掲げる行財政改革に取り組む一方、不正追及など議会における実績が群を抜く議員に対しても紙一枚だけ──たとえば、民間で「こいつは組織に必要だからリクルートしたい」と思った企業が、そんな対処をすれば、その人が移籍するとはとても思えない。

そもそも入党の意思があれば、こんなものが送られずとも同党のホームページから申込書をダウンロードするだけで済む。より確実に入党したいのならば離党した議員に頼み込んだ方が話は早いだろう

こうした軽い扱いをされながら、怒りを感じない地方議員がいるとすれば、それはどうかと思う。最初から入党する意思がある議員は別としても、残留を決めた議員や迷っている議員は、自分が積み上げてきたものが大きければ大きいほど、「自分の実績など見ないで、”数合わせ”のために勧誘するのか?」と疑問を感じるだろう。

結局、結いの党に対する批判のようになってしまったが、これは同党に限った話ではないようである。他党の議員からも、国会議員からコマのようにされて憤慨したとの話を聞くし、正直に言うと、私自身、国政選挙の立候補者からそのように接せられた経験もあった。

実を言えば、入党案内の件を糾弾するのがこのコラムを書こうと思った本当の目的ではなく、この件をきっかけに考えていたことを思い出したため。「地方議員は何のために存在するのか?」というのが趣旨である。つまり、地方議員は「紙一枚」だったが、国会議員に対して同じことができるのか──ということなのだ。

議員になる以前に、他県の保守系の重鎮と言われる県会議員の先生から「有権者から国なら国、県なら県、市なら市と、各議員はそれぞれ役目を果たすことを任されている。本来、国会議員と地方議員に差などあってはならない。地方議員になったら、そんな気概を持って地域のために尽くして欲しい」と伺ったことを思い出す。その重鎮によれば、地方議員の活動などおかまいなく、選挙の実働部隊としか考えていない国会議員もいたそうだ。

来年には統一地方選挙があり、それについて報道では「次期の総選挙、参院選のために各党がどれだけ党勢を拡大できるか注目される」といった記述が目立つ。現実的に、いざ国政選挙となれば、地方議員は実働部隊となるのは事実ながら、我々は決して選挙を戦うための”コマ”ではない。そのように報道があることから、国会議員を志す人が「選挙は地方議員に任せておけば大丈夫」と誤解するのかもしれない。

我々だって有権者からの負託に応えるために日々活動しているのだ。それを”コマ”のように扱われてはたまらない。報道機関においても、事実上そうだとしても「選挙運動の”手足”になる地方議員が少ないため、次期国政選挙においては苦戦が予想される」云々とは書いて欲しくないのである。

地方分権と叫ばれているが、実際にそれが進んだ場合、重い責務を担うのは地方議員だ。逆に言えば、地方議員がしっかりしていなければ、地方分権は穴の開いたザルがごときものになるため、より重みのある仕事ができるよう精進しなければならない。送られてきた”紙一枚”を手にして、そう思いつつ奮起した。