※ハフィントンポストで以下のコラムが掲載されました。
居住している町内で起きた保育園建設中止問題で、住民へのヒアリングや調査をしていて、過去に疑問を持ったことを思い出した。保育園の園庭、施設の違いで子どもの“体力格差”が生じることがないか──という点である。いつか調べて取り上げようと思いながら、落選してそのままになってしまったが、今回の保育園問題で考える必要があるのではと改めて感じた。
そう思ったきっかけは、3年前、小学校の体力測定で娘がシャトルラン90回で学年2位になったこと。1位になった男の子は保育園時代からの“ライバル”で、毎年、体力測定のいくつかの種目で鎬を削っていた。シャトルランは、3位の子も同じ保育園出身。実は、他にも4位まで娘ら同じ保育園出身組が独占した種目が複数あったという。学年全体で約120人のうち、この保育園出身者は4人だけという点から考えると、凄いと言っていいのかもしれない。
たまたま、そういう子が集まっただけなのかもしれない。もちろん、この保育園はスポーツに力を入れている訳ではなく、ごくありふれた公立の保育園。ただ、市内にある他の保育園や保育園に比べて園庭が広く、この4人は小さい頃から身体を動かす点で、環境が恵まれていた。幼稚園によっては、あまり子どもらに運動をさせないところもあるとかで、それなら体力に差が出ることは容易に想像がつく。
なぜ、このことを思い出したかというと、建設中止になった保育園の図面を見たら、園庭がたたみ20畳分にも満たないような狭さで、これでは子どもらは思いきり遊べないと感じたため。砂場などの施設もあることから、この園庭では走り回ることができないのだ。私立の保育園なので、そこまで言及する必要はないかもしれないが、これが公立の保育園だと園庭の著しい差は、子どもを預ける際の“あたり”と“はずれ”となる。都会と地方と条件が大きく異なるのならいざ知らず、同一地域内で大きな格差があるのは、公平性の問題が生じるのではないかと考えた。
もっとも、保育園は子どもを“預ける場”であり、そもそも、政策として考えようにも、こうした疑問を挟む余地はない。都会では広い園庭など不可能に近く、「設備など二の次でいいから、とにかく保育園建設を」というのが切実な声であるのも理解している。それでも、日中に何年も預け続け、その結果、通わせる園によって体力差が生じてしまうのであれば、考える必要があるのではないだろうか。
園庭の広さと、その後の“体力格差”に因果関係がはっきり示したデータがあるのかどうか知らない。学力のように、格差が生じる背景、環境が騒がれることもない。体力は持って生まれたもののほかでは、学力とは異なり、親の“経済力”ではなく、食事や運動をさせるといった親の“意識”で生じる性質のものだが、子どもの成長を考える上で、もっと目を向けるべきだと思うのである。