最近、地元で開催された北千葉道路建設促進特別講演会に出席し、改めて「公共事業とは何か?どうするべきか?」ということを考えた。
北千葉道路とは、外環から成田空港を結ぶ県北西部の内陸部の動脈となる高規格道路のこと。国内において成田空港の国際貨物のシェアが6割を占める点を踏まえれば、物流面で意義深いと思われるほか、千葉から東京に向かう道路が災害発生時の被害が心配される臨海・沿岸部に集中していることから、防災の観点でも必要な道路と私は考えている。
公共事業について、費用対効果のほか、生命や財産保全に関わるといった必要性から効果が十分な事業として疑問と思われるものを除き、表題に示したように「必要な公共事業に集中投資する」というのが私の基本的なスタンスだ。あまりにも巨額であれば別だが、税金を使って県民が将来にわたって潤う(あくまでも将来にわたってで、建設投資による一時的な経済効果のことではない)のであれば、実行すべきものと思っている。
逆に、そうでない事業、たとえば、建設しても通行量が極端に少ない道路や、利用客が少ない箱モノは作るべきではない。どこまで許容できるか難しいものの、建設費は言うまでもなく、地元への経済効果がどれだけ見込めるかも含め、十分に精査を行った上で事業を行うかを判断するのが重要だ。
そうした意味で、北千葉道路は、千葉県の産業、防災などの観点から必要と思っている。先述したように、成田から都内へのアクセスは、鉄道こそ北総鉄道によって、沿岸・臨海部の集中が避けられているものの、動脈とも言える幹線道路については内陸部に存在しない。繰り返すが、成田空港を単に旅客の視点だけで捉えず、国際貨物から論ずれば、北千葉道路の重要性は増す。これは、アクアラインを論じる時も用いる点ながら、県の発展という意味で物流にもっと重きを置く必要があると思う。
さて、この特別講演会では、元国土交通省技監で国土技術研究センターの国土政策研究所長である大石久和氏の話を聞き、その通りと思ったことが少なくなかった。
印象的だったのは「新東名をトヨタは作らない」・・・このひと言だ。
何が言いたいかというと、インフラを整備することによって、企業活動は活発化、それによって経済が上向くということである。高度成長期以降の日本の発展は、徐々に整備された社会インフラなどのストックと無関係ではない。スムーズな物流によって、生産が滞りなく行われるだけではなく、コストの大幅削減も可能。行政が高規格道路や港湾など整備したがゆえに、たとえばトヨタなど日本を代表する企業も成長を遂げたのだ。
これが、インフラが整備されていない途上国ではそうはいかないだろう。道路や港湾が未整備では、物流がネックになり、企業活動はままならない。経済の発展を阻害する要因となるのだ。先進国と途上国の経済格差は、ある意味、社会インフラの差が大きいとみることもできる。
道路の渋滞が頻繁化すれば、輸送にそれだけコストがかかる一方、納期等にも影響してしまう。実名を挙げたトヨタが”カンバン方式”や“カイゼン”などで内部で効率化を進めても、物流に難が生じれば、その効果も減少してしまうというものだ。ゆえに、必要な公共事業は重点的に行う必要がある。
もっとも、大石氏の講演で全面的に賛成できない部分もあった。それは財政について言及された部分についてである。
現在の国の借金について、2008年以降、建設国債はほとんど増えず赤字国債の増加で財政が厳しさを増していることから、公共事業は増やすべき・・・という論法だ。確かに、その通りである。ケインズ経済学からの正論に会場は圧倒された感があった。
しかし、そもそも赤字国債が増加する要因はどこにあったのか。90年代に景気対策と称して公共事業を拡大、そのツケを今、払っているため・・・と言えないだろうか。その時に執行された、公共事業は果たしてそこまで精査されていたのか・・・それを疑問に思えば、もろ手を挙げて賛同することはできない。
民主党政権が掲げた「コンクリートから人へ」という、フローの視点だけで進めたことは、経済発展を考えるとどうかと思う。インフラという次の世界を支えるストックを作る環境整備を進めることの方が、あり方として正しいと考える。大石氏は「田んぼなどの耕作地は、整地から耕作しようとすれば大変だが、我々の祖先が整地したものを残してくれたおかげで、その恩恵で生産ができる」と例を示していたが、まさにその通りだろう。
それでも、財源は公共投資に使うだけでは済まない。社会保障費など先行き加速度的に増えることを踏まえれば、ただでさえ、厳しい財政がやがてはパンクしてしまうだろう。必要な公共事業は積極的に行う必要がある一方で、節度も必要なのだ。
無駄な公共事業をストップさせる一方、費用対効果などを吟味した上で必要かつ重要な事業に集中的に投資する・・これからの公共事業のあり方はそうあるべきと改めて思った次第である。