【真実を発信311】いざという時に頼りになる自衛隊・・・地震津波議連の視察(4)

集団的自衛権が話題になっていますが、自衛隊の在り方についていろいろな意見があると思います。しかし、災害の際の救助でなくてはならないのは自衛隊であるということは事実でしょう。いざという時に頼りになる・・・東日本大震災においても、そのことが実証されました。

視察の2日目、最初に訪れたのは航空自衛隊松島基地です。ブルーインパルスの基地としてもおなじみの同基地。海沿いにあるため、津波の被害を受けました。全国の航空自衛隊の中で唯一被災した基地でもあります。

松島基地がある東松島市は人口が約4万人。ここも7~8メートルの津波が押し寄せ、死者1063名、行方不明者35名、住宅の被害は全壊5484戸、大規模半壊3050戸、半壊2495戸、一部損壊3518戸と大きな被害となりました。

基地内に侵入した津波は、1機5トンの重量である飛行機をも飲み込んでしまったそうです。幸い、ブルーインパルスは震災当日、6機の飛行機とも九州新幹線開通式典のために不在、運良く被災を免れました。

同基地では、格納庫も水浸しになってしまったため、4メートルのかさ上げ工事を行うなど、基地自体の津波対策を実施しています。

さて、東日本大震災で、被災地にあった同基地は救援活動の拠点として重要な役割を果たしました。ヘリやトラックを屈指してガソリン、軽油、灯油などの資源のほか、数々の物資を輸送。さらに、見逃せないのは、ご遺体の搬送でした。救援だけではなく、これも大切なことであるのは言うまでもありません。

当時、松島基地で行った活動を以下にまとめてみました。

・給水支援   3月16日~5月28日 5000トン以上
・被災家屋支援 3月19日~5月1日  1269軒
・炊き出し支援 3月20日~5月8日  延べ14764名
・入浴支援   3月24日~7月31日 延べ16586名

米軍とも共同支援を行いましたが、実際に自衛隊の活躍を目の当たりにして、「ありがたさがわかった」といった声も出ていたそうです。

炊き出し支援では、被災者の方々が温かいものを食べる中、隊員たちは決してそれらを食べません。自分たちは、冷たいものを食し、救援に全力を注いでいるのです。同基地の関係者によると、普段から厳しい訓練を積むことで、こうした食べ物のほか、何日もコンクリートの上で寝ることを当たり前のようにこなすとか・・・国民の生命、生活を第一に考えて常に行動しています。

よく自衛隊の存在を悪のように唱える方もいますが、国民のために真摯に働いていることを決して忘れてはならないでしょう。

松島基地を後にして、次の視察地に向かう途中、宮城県内の沿岸部に位置する名取市や岩沼市を通り、震災時のテレビ報道の画像が衝撃的だった仙台空港にも立ち寄りました。

これら、沿岸部では津波が東部道路(三陸道)でせき止められました。盛り土で間接された高速道路が堤防のような働きをしたのです。そのため、高速道路をはさんで、海側は大きな被害を受けたものの、山側は津波による直接的な被害はありませんでした。

この事実は注目していいでしょう。昨年、北三陸を視察した際、三陸鉄道の高架を堤防代わりにした街づくりを進める・・・という地域がありましたが、効果は既に先の震災でも実証済み。平野部において、盛り土などで建設した鉄道の高架や高速道路などは、有効な津波対策を兼ねることから、九十九里など千葉の平野部における九十九里有料道路、通称波乗り道路の果たす役割は大きいと考えられます。