【真実を発信313】「鼻血なんか出たことがない!」・・・地震津波議連の視察(6)

シリーズでアップしてきた地震津波議連の視察も今回が最終回。3日目に訪れた会津若松市の仮設住宅に関して記します。

今回訪れたは、大熊町から避難した人々が暮らす仮設住宅。大熊町は隣接する双葉町とともに、福島第一原発の所在地として知られています。現在、町内の約96%が帰宅困難区域に指定されており、南相馬市小高区や浪江町などと同様、人が住むことができません。ここにお住いの2人の区長さんから、事故発生後の避難の様子や、仮設住宅の現況などについて直接お話を聞くことができました。

会津若松の仮設住宅に入居したのは震災があった年の7月19日。それまで、小学校の体育館に1カ月、リゾートホテルに3カ月滞在したとのことです。事故当日は、ライフラインが断たれた状態にあったため、消防分断長が1軒1軒訪ねて避難を呼びかけたとか。バスで集団移動したのですけど、移動に使用したバスは政府の要請で38台茨城県から派遣されました。

もちろん、その日から家に帰ることはできません。「原発が危ない」と聞いて避難した際には、区長さんによると「2~3日もすれば落ち着いて帰ることができる」といった程度の認識だったそうです。その後、長い避難生活が続き、リゾートホテル時代に自治会が組織されました。そして現在に至っています。

大熊町では除染作業が行われ、たとえば、田んぼでは10センチ土を剥ぐそうですが、山の表面は剥ぐと崩れやすくなるため、思うように進みません。表土をはぐと、効果は絶大となるものの、以上の点から、低地は改善しながら、高い場所ほど放射能は高い水準のままとなっているそうです。

一方、この除染は雇用の面で見逃せません。会津地方では、時給で800円程度、対して除染作業に従事すると1日2万円・・・この差から、会津から離れて除染作業に従事する人もいるそうです。

今後について1人の区長さんは「農家として親から受け継いでやってきたので、できれば帰りたい。若い人はともかく、帰りたいと思っている人がいる」と訴えていました。そして、今、漫画「美味しんぼ」が話題になっていることを踏まえ、「皆さん、原発が怖いと思いますか?」と我々視察団に問いかけたのです。

「美味しんぼ」では“鼻血の描写”が問題になりました。しかし、この区長さんは「私は40年も原発で働いてきた。その間、何万ベクレルもの放射能を浴びたが、身体に何も起きていないし、鼻血なんか出たことがない」・・・。

「美味しんぼ」の様な例もあるのでしょう。しかし、一方ではこの区長さんのような方もいます。私は、安全性が完全に担保されていない、経済合理性から疑問点がある、などの理由から政治的な立ち位置は反原発ですが、判断する基準になる起きている事実に関しては、推進、反対いずれの立場にあってもフェアに取り扱う必要があると思っています。感情を交えず、客観的に論じなければ本当の議論はできません。

他方、もう1人の区長さんは「何かあった時にすぐに中断できる技術がない状況で、我々のところに中間貯蔵所を持ってくるのはどうかと思う」とした上で「部落にいる人はバラバラ。絆も立たれている」としていました。キノコ狩りや山仕事ができなかったような場所で、田畑を再開しても果たして「大熊町産」として売れるのか・・・不安が先行しています。

中間貯蔵所に関して住民は賛否まちまちであるなど意見は様々となっているのが現状ですけど、そうした中で地区長さん2人は「住民の要望に関し、町とのパイプ役をこれからも務めていく」と力強く語っていたのが印象的でした。

今回の視察で学んだことがたくさんありました。これらを今後の県政に活かして参ります。

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